facebookにより独自文化が作れなくなる危険性はあるか?


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いま「フェイスブック 若き天才の野望」を読んでいるのですが、この本の中では、どんどん世界はフラット化され、人々の間の関係は透明化されていき、世界がより良くなるとfacebookのCEO、ザッカーバーグは説いています。 そう信じてfacebookを成長させています。 恐らく今も。

そんな中ふと思いました。 文化については良いことばかりではないんじゃないか?と。

世界はご存知のように国境があり、その土地の風土があり、様々な人種がいます。

文化はそんな情報が届きにくい(あるいは遮断された)中で、他国に知られることなく、あるいは他国の文化を知ることなく独自に発展してきました。

その中には伝統音楽や工芸、踊りや絵画、映像など、周りから情報が届きにくかったからこそ創り上げられたものが多くあります。

それは他国の人間にとって珍しく、深く、説得力があり、それ故に魅力的に映っています。 今でこそYouTubeやニコニコ動画、そしてfacebookなどで即座にそういった魅力的な文化を体験することができますね。

工業技術はグローバル化されて差別化できなくなった

facebookによる各国文化の影響の前に、工業技術について考えてみると、昔の日本は加工貿易で栄え「技術力でいえばダントツで日本」と世界が賞賛する時代がありました。

しかし、現代では人の移動手段や情報網の飛躍的な発達によって、日本の技術力はすぐに世界に流出していき、他国の技術者に利用されるようになりました。

英語が理解できれば赤ん坊がMITの授業を受講することさえできます。

いわゆる「フラット化」であり、これにはいい面も悪い面もあります(日本にとっては悪い面が多くなってきましたが…)。

要するに、インフラの発達によって差別化できなくなったということです。

そしてfacebookと文化の関係も同じ事が起こる

元に戻ってfacebookです。 facebookは「人の交流」のための素晴らしいインフラです。 自分が感じたこと、体験したことなどを友人に告知すると、それが魅力的なものであれば瞬く間に世界中に伝わっていきます。

世界中の表現者はfacebookで表現の種を探し、それをミックスし、メディアミックスのように新たな文化を作っていくでしょう。 しかし、逆に考えると世界中で同じことが起こるため、独自の文化が現れなくなっていくという懸念があります。

それが「facebookカルチャーだ!」という見方もあるかもしれませんが…

あまりに情報のアウトプットが早過ぎるため、熟成の期間がないまま世界に提供してしまう。 中途半端な魅力だけだと、それを世界中の人が拾い上げ、ミックスされて独自の魅力がどんどん薄まってしまいかねません。

Twitterとブログの関係にも似ていますが、リアルタイムで断片的すぎるために完成度が低く、魅力的に映りにくいのです。

もっとも、早過ぎるアウトプットのほとんどは友人にさえ拾い上げられることがありませんけどね…。

フラット化した世界における表現のタイミングを考えよう

では、どうすれば良いのか?

人間は、体験するもののギャップが大きければ大きいほど刺激的に感じるようにできています。 映画なんかは刺激を感じやすくするために、盛り上げるシーンの前に敢えて退屈なシーンを入れてギャップを演出しますよね。

つまり、アウトプットのタイミングが重要なのです。 考えたことをすぐに頻繁にアウトプットしていると、1つ1つが非常に薄く、退屈で、他のものとの差別化ができにくいものになってしまいます。

リアルタイム性が重要な表現についてはfacbookなどですぐに伝えることが大事ですが、自分の表現力を相手に魅力的に伝えるためには、フラット化された世界においてもあえてそれを安易に使わず、独自の魅力を形成してアウトプットすることが、フラット化された世界を楽しいものにする手段だと思うわけです。

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2011-10-21